広島カープ・緒方孝市監督(50)の辞任が発表となりました。

会見で、「今シーズンを持って、ユニホームを脱ぐこととなりました。監督に就任してから、1年目から1年勝負の中で、やっていくと。その決意は変わらず、今シーズンもその思いでやってきました。期待に応えることができず、本当にそれは監督としての責任なので、申し訳ない気持ちでいっぱいです。全力で最後までやり切ったなと。そういう思いでいます」

緒方孝市監督の2年目、2016年は、25年振りに優勝しました。
まさかの優勝でした。

わたしは、生きてる間に「優勝」できるとは、夢にも思いませんでした。
それが優勝しました。
本当にうれしかったです。

それを3年間も続けました。
夢のような3年間でした。

強いカープを見せてくれました。
ありがとうございました。

しかし、緒方孝市という監督としての人間性としてはどうでしょうか?
カープ一筋、俊足であり、功走守3拍子揃った選手でした。
素晴らしい選手でした。
引退後も、コーチとして、カープを強くしてくれたと思います。

前監督である、野村謙二郎の最終年(2014年)は、もう次年度(2015年)の監督が決まっていたのか、べったり隣にくっついて、監督帝王学を学んでいました。(きっとそうだと思います)
そして、野村謙二郎は、マツダ最終試合では、挨拶もせずにすたこらさっさとどこかへ消えていきました。

これも、野村謙二郎から習ったのか(?)、緒方孝市監督も、初年度の最終試合では、一言の挨拶もなく退きました。
監督なるもの、その年の戦ってきたことを簡単でもよいから話し、来年はこうします、と説明するのがファンに対する最少限度の勤めではないかと思います。

大人(監督ならなおさらのこと)としてのマナーなり、けじめなり、責任と思いますが、それをせずに何が監督なんでしょうか。
この時、緒方孝市という人間に失望したのを覚えています。

3年間優勝できたのは、立派な「采配」ではありません。
その時の選手が立派に成長し、個人の考えなり、技術的に実力が備わってきたからだと思います。
いわゆる「チーム一丸」と言うことです。

これが、今シーズンは、高齢化(?)、選手、コーチの入れ替わりなどがあり、余計なトラブル(殴打事件、ドーピング違反など)があり、チーム一丸でなくなったからだと思います。
こういうときこそ、チームを締め直すのが、監督の第一の仕事と思いますが、それができなかった、ということですかね。

采配面では、何度もこのブログに書いてきました。
一言とで言えば、決断が遅すぎます。
頑固すぎます。

学習能力、応用能力がなさ過ぎます。
これは、交流戦、プレイオフの戦い方、ここぞ!!!という試合への臨み方などを見れば一目瞭然です。
また、各試合での、ピッチャーの交代時期、勝負をかけなくてはいけないイニングでの作戦などを見ればわかることと思います。

監督として、これ向上は望めないと思います。
丁度いい引き際でしょうね。

5年間の監督生活、4位、優勝、優勝、優勝、4位、立派な実績です。
これは記録ですから、消えることはないです。

半世紀ぶりに、優勝というシーズンをありがとうと言いたいですね。
お疲れさまでした。

◆緒方孝市 1968年(昭43年)12月25日、佐賀県生まれ。
鳥栖高から1986年ドラフト3位で広島入団。
1995年に現在もセ・リーグ記録の10試合連続盗塁をマーク。1995~1997年は盗塁王。
1995~1999年は外野手でゴールデングラブ賞。
2008年に選手兼任コーチとなり2009年に現役引退。
引退後はコーチを務め、2015年監督就任。
現役時代は1808試合、打率2割8分2厘、1506安打、241本塁打、725打点、268盗塁。
181センチ、80キロ。右投げ右打ち。